犬山紙子のイラストエッセイ

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zoom RSS 東日本大震災 後編

<<   作成日時 : 2011/04/09 17:11   >>

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いやあ〜、続き物を書いといてあんなに放置!
友達に
「酒飲む暇あったらブログちゃんと更新しろや」
と怒られる始末。

私も書こう書こうと思っていたのだが体調が悪いやらその後の余震でびびったりやら
酒飲んだり
酒飲んだり
酒飲んだりしてしまい、こんな3週間近く放置することになったのである・・。

これからは心を入れ替えてブログを前のように更新するゾ!



仙台が大停電を起こし、お母さんの呼吸器や吸引機の電源確保ができないというとっても怖い事態になってしまい、
気が気じゃない私。

東京にいるから何もできないのが歯がゆすぎる。

とにかくそっこー119に電話する私。

しかし、東京から119をしたとてつながるのは東京の消防署。

「あの!仙台の!母が!電源がなくて!病院に!入院させたいんですけど!」

としどろもどろで説明するも

「すいません、ここからじゃ何もできないんですよ・・・・・・」

といわれてしまう。
そりゃそうだよな・・・・・・。


そうなると、次はツイッターで情報収集。
仙台で電源を確保している病人を受け入れている病院はどこ?
とフォロワーさんたちに問いかける。

すると、すぐに沢山の人が調べて教えてくれた!

その中に母が入院したことのある病院が入っていたので、その病院に電話。

するも、もちろんつながらない。

姉に電話するももちろんつながらない。

ツイッターで姉にリプライを飛ばしまくるしかもう手段はなかった。

「119につながらなかったら○○病院に直接行って入院手続きとって、救急車で母を迎えにこさせて!」

とか計10回くらいいろいろリプライを飛ばした。
姉の携帯の充電も心配だったから、車で充電して!とか。

しかし、ツイッターでも姉からの連絡が途絶えてしまった。
ネット環境も全然きかなくなってしまったようなのだ。



そうなると私にできるのはできるだけ情報を集めてそれをいつか見る姉にリプライを飛ばすことだけ。

ただ、母親を心配しながら待つことしかできないという長い辛い時間が始まった。


部屋を真っ暗にし、弟と弟の友達のT君と私と三人で布団に包まりながらテレビをずっと見る。



津波で沢山の家が流されている。
本当だったらその人たちの心配をすべきなんだと思う。
でも、私はお母さんのことしか頭になくて、あまり、怖い、とかそういう感情がわかなかった。








そして、夜中の1時。
姉からやっとメールが来た!!!

一度自家発電機を親戚のお兄ちゃんが持ってきてくれたが、結局できなかったこと。

そこから、ひたすら姉と、いてくれたヘルパーさんと、心配で来てくれた訪問看護師さんがずっと119に電話して、何時間かしてやっとつながり、その病院に救急車で無事運ばれたとのこと。






・・・・・・・・あああ!ホント良かった!
病院に入院できた!!!

これでひとまず安心していいんだよね!

やっと胸をなでおろした私。











しかしである。
入院した病院のアカウントをツイッターでフォローしたのだが、
その病院がこんなつぶやきをした。




「病院の緊急用の電源がもうなくなりそうです。

A重油が足りず、もうすぐしたら電源が落ちてしまいそうです。

ICUの人など命にかかわります。近くでA重油をもらえるところはないでしょうか?」



・・・・・・・・・・・・。
病院の電源も切れちゃう・・・・・・・・・・・・。

そうなったら、母だけじゃなく病院にいるみんなの命が危ない。

病院がツイッターのアカウントで助けを求める、ということは本当に緊急なのだ。

本当に電源がきれてしまうのだ。

ほっとしたのは一瞬。そこからまた私はツイッターで、その病院のつぶやきをRTし、
A重油をどこかからもらえないだろうか、とフォロワーさんたちに聞いてみた。

100人以上の人が瞬く間にRTしてくれて、沢山の情報が入ってきた。
ここにいけばあるんじゃないか、
とか
近くのガソリンスタンドからもらえないか、
とか
東京の人なのに、そこの病院の近くのガソリンスタンドを一覧にしてくれた人もいたし、
すごく沢山の助けとなるリプライをもらった。


それをすべて病院のアカウントに転送。

私は私で宮城の警察に電話をした。

夜中だから比較的つながりやすかったのだ。


「あの、○○病院がA重油が足りなくて人々の命が危ないんです!なんとかなりませんか?」

警察が動いてくれたらなんとかなるかもしれない、
そう思ったのだ。





















「申し訳ないですが私達にはどうすることもできません。病院から依頼を受けてからまず動けるので。しかし、病院から連絡が来ても今の現状だと本当になにもできません」


警察からの回答は
「無理」
だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いつもだったら、
「何で!人の命がかかってるのに動いてよ!」
ってすごい食いついてしまったと思うが、警察も今沢山の人の命を助けるためにめちゃくちゃがんばっているはずなのだ。

自分のことろだけお願いって
無理って言われているのにゴネてその邪魔はしたくなかった。


わかりました。
そういって電話を切る。


すると

姉からメールが来た。

「病院の電源が切れた。今から電源が届くまで、手動でできるところまでする。」

とうとう切れてしまった。
病院は避難している人でいっぱいで看護婦さんの数はどう見ても足りない。
みな、最優先のICUの方へ行って手動でどうにかICUの人たちが亡くならないようにがんばっている。


なので、母は姉が寝ないでずっと手動で酸素を送り込み、吸引はストローをさして口で吸ったりしたそうだ。

姉や看護婦さんがそんな大変な中、東京にいて何もできな自分が本当に嫌でたまらなかった。

しかし、私宛に

「○○病院に電話確認しました。重油確保できたそうです」

とメッセージが届いた!

すぐさま私も病院に電話をして詳しい状況を聞いた。

すると、朝の7時には電源が回復するとのことだったのだ。
その重油が届けば2日間は大丈夫とのことである。

その間、重油だけではなく、発電機が壊れて発電車を要請したり、重油以外にもいろいろ問題があったそうである。


ツイッターで情報を集めてくれた人々にお礼を言い、姉と出張で仙台にいない父にすぐ連絡した。

姉も
朝7時まで寝ずにがんばる

と言ってくれた。
そんな姉がすごく頼もしかった。
けど、姉を一人でずっとできる仕事量じゃない。
一刻も早く仙台に戻りたかった。



病院がどこから重油を確保できたかはわからない。
でも沢山の情報を教えてくれたフォロワーさん達の力も絶対あったと思う。

こんなにツイッターで助けられて感謝した日は初めてだった。



そして7時になった。
電源がついたらしい!!!
だれ一人として亡くならなかったそうだ。

お医者さんと看護婦さんのおかげである!!

母の命は姉が救ったのだ。


嬉しくて涙が出た。

これで2日間は少しは安心して過ごせる。
名古屋にいた父が東京についた。

弟と私と父と3人が集まった。
父がいるだけですごく心強かった。

父は昨日から仙台に帰る方法をずっと探していて、
キャンセル待ちでやっと明日の朝6時の山形の庄内空港行きの便が取れた。
そこから仙台には車で帰るしかないが、レンタカーももちろんやっていない。

必死で情報を集めたら、庄内空港にはタクシーが今でもいることがわかった。
でもそこから仙台までのガソリンがタクシーにあるのかはわからない。
でもとりあえず庄内空港までは行こう、ということになった。


友達に明日仙台に帰る、と伝えると沢山の人がいろんなものを貸してくれた。

大きいバックパック、
コロッケのフード、
ランタンや懐中電灯
電池式携帯の充電器。



そして、仙台は食料がほとんど手に入らないと情報があったので、かりたバックパックに日持ちする食料を沢山買いにドンキに行った。

























東京のドンキなのに、食料がほとんどないのだ。
沢山の人が買いだめしに来ていた。

正直、意味がわからなかった。

え?なんで?

なんで東京の人たちがこんな買いだめする必要があるの?
まだ物資は被災地に送れる状況ではないから、東京での生活のための買占め・・・・・・・・・・。


欲しかった缶詰なんて1つも残ってなかった。
あんなに大きいドンキで沢山の品物があるのに。


カップルが
「東京も停電とかになったらやべーし、とりあえずいっぱい食料買っとくかー」
とかいいながらジャンジャンかごに食料を入れていく。



「俺、ちょっとこういう非常時ワクワクするんだよね」
とか言ってる人もいる。

正直、本気で食料がなくなるかもしれないから買っとく

という感じではなく

なんかみんな食料買いだめしてるしお祭り騒ぎに便乗

みたいな様子を受けた。

自分だけよければそれでいい

そんな風にすごく感じてしまった。





東京で食料を買って、病院食もままならない病院の人たちにも配ろう、と考えて来た私は
しかたなくおやつを沢山買ってしょんぼりしながら帰った。


自分が会計するときも
「ああ、私も東京に住んでるのに買いだめする人って周りから見たら見えるんだろうな」
ってすごく嫌な気分だった。


姉に何が欲しい?
と聞いたら
「全部足りないから何でも欲しい」
という答えが返ってきていて

「食料などの調達は私に任せて!」
と言ってたから、リュックいっぱいに入っているのがおやつだってわかったらすごくがっかりするだろうな、
と思った。


でも、おやつもないよりは絶対良い。
その日は父と弟と3人で少しだけ寝て、朝の4時に起き、仙台へと飛び立った。




庄内空港には7時に到着。
タクシーも運良く捕まえることができ、仙台までいけるよ!
と言ってくれた。

そしてタクシーにのって5時間。
やっと姉と母の待つ病院に到着した。
























画像

母が満面の笑みで迎えてくれた。

どんな気持ちだっただろう。
自分じゃ動くこともしゃべることもできない母。


姉と2人でどんなに心細かっただろう。
電源がない!
どうしよう!
とか自分の命の危険を人にゆだねるしかないのだ。

不安もあっただろうし、つかれきっている姉を見て
「自分のせいで」
と母のことだから自分を責めてしまっていたはずだ。

早く父の顔も見たかっただろう。

病気になっても、
言葉は話せなくても、
お互い深く心の底から愛し合っているのを私は知っている。

母が寝たきりにになってから、父は早く帰ってくるようになった。

お客さんと会食などがあってもかならず10時までにはきりあげ、
ギリギリおきている母に優しく頭をなでて、握手をして、ただいま、をするようにしていたのを知っている。

父が帰ると必ず母はにっこりと最高の笑顔で迎えていたのを私は知っている。

出張だって数を減らしたのも知っている。


私はいつもそれを見て、この2人の子供でよかったなあ、と幸せな気持ちでいた。



だから、父との再会は母にとって一番の嬉しいことだったはずだ。

泣かないで笑顔で迎えてくれた母。

私は東京で何もできなかったことをいっぺんに許してもらえた気がした。




一人で2日間寝ないでずっとがんばってくれていた姉も心細かっただろう。
電源が入っても夜中の吸引や体交はもちろんしなければいけないから、
ずっと夜中も起きてくれていたのだ。





画像

姉も私達の顔を見て安心した表情をしてくれた。


コロッケは病院の駐車場の車の中にいた。
空気を入れるために少しだけ窓をあけ、布団を沢山おいてある中で丸くなっていた。
車の中は暖房を入れているわけじゃないのに、大量の布団で暖かく、コロッケも寒い思いはしないなかったようである。

夏じゃなくて良かった・・・・・・・・・。


そして、姉が母とコロッケのところを行き来していたようだ。

地震で震えが止まらず眠れなくなったコロッケが唯一車の中だと寝てくれるのだそう。
家にコロッケを1人でおいていくわけにもいかず、1時間に1度は必ずコロッケのところへ行き、餌をあげたり抱きしめたりおしっこさせたりしていたようだ。
家でひとりぼっちより絶対良い。





画像

コロッケをそっと抱きしめると、車の中でもずっとブルブル震えていた。
こんな小さな体で怖かったろうに。
コロッケも一生懸命がんばったんだね。
地震の時にすぐに抱きしめてやれなかったのがすごく辛い。

姉はコロッケをもちろん抱きしめていただろうが、母のことで姉は忙しく、コロッケの満足いくまで充分にはかまってはやれなかったはずだ。





私と弟が病院に残り、姉とコロッケを家に帰し、そこから2日間私は病院に寝泊りした。
あと2日できれるといわれていた重油もちゃんと確保できたそうで、もう電源の心配もなく、

私は地震後初めて母といられて電源も問題がない
という幸せを感じることができた。


病院なのに、東京の家よりも、家にいるっていう気分がした。

母の看病をできることがこんなにも幸せだって知らなかった。


母が生きてくれているだけで私にとっては最高に幸せなことなんだなあ、と思った。

病気になってしまって人に介護してもらわないと生きれなくなった人は
「こんな自分生きていても迷惑をかけるだけだ」

と思ってしまうと思う。

けど、家族にとっては生きてくれているだけで幸せをもらえるのだ。
母の笑顔を見るだけでめちゃくちゃ癒されているのだ。


だから、そんなことは思って欲しくない。

私は母の介護をするのが自分の今生きている意味にもなっている。
もし、母がいなくなってしまったら、私は誰にも必要とされていないポンコツだって思ってしまう。

人に必要とされる、それがなおさら大好きな母だったら、
子供にとってそんな幸せなことはない。


今まで母が病気になるまで20年間、いっぱいいっぱい愛情をもらった分、私は全然まだまだ返せていない。

だから介護をすることがえらいことだなんて一つも思わない。

介護をしている、というと
「えらいね」

ってよく言われるけど、全然えらいと思わない。
だって、ここまで私を育ててくれたお母さんのほうがもっと偉いのだ。


仕事を辞め、介護できる環境にいる私が介護するのは、当たり前のことだと思う。


仕事や子育てをしながら介護をする人は本当に大変だしとってもえらいと思う。

でも、独身で介護をメインでやって、兄弟がいるから東京にもいける、
そんな私は偉いじゃなくて、

家族といれてお母さんの世話をするのが仕事のかわりだなんて幸せだ

だと思うのだ。



画像

若い頃の母。
自慢の愛情深い大好きなお母さんです。
長生きしてね!!




コロッケ、早く元気になってね
画像








オマケ。
私と弟の小さい頃。
画像


3つごの魂100まで。
私はちっさいころからこんなんだったのだ。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
感動的なブログをありがとうございます。
大変な思いをされた御家族全員に対して,何という言葉をかけるのが適切なのか判らないなってしまいました。
私も全く別の形で苦しみ続ける運命にはあるのですが,レベルが違いすぎて「共感できます」などと軽々しくは言えません。
ともかく,御無事で良かった。
下ネタを再開される日を楽しみに,東北地方の復興を東京から少しでも応援させてもらいます。
ざうさん
2011/04/09 19:14
切迫した状況と心境が、こんな時でも冴えわたってて、感動しました。
思い出して供述してるってことは無事だったんだろうなと、少し安心しながらどんどん読み続けていましたが、それでも最後まで読んでほっとしました。渦中にいるときには本当に心配ですよね。
あなたは心がきれいだと思う。だから神が守ってくれたのかな。非常時にはその人の本性が出ると言うけど、あなたは気高く美しい精神を持ってると思います。
異人
2011/04/09 21:18
リア充アルパカですごく笑いました。だけど後半は目頭が熱くなりました。僕は地震時は海外旅行中で、帰ってきてからも状況がさっぱりわからなくて数日は情報収集ばかりでしたが、その時に関東での買い占めなんかを見ても「ああ、またバカなことをしているなあ」としか思いませんでした。しかしやはりああいう思考停止の行為は悪気がなかったとしても誰かに迷惑を掛けてしまっているのですね。自分もたまにバカなことをしてしまうので肝に銘じておかなければならないと感じました。
お母さん綺麗っすね!こんなに気遣う人がいてきっと最高に幸せだろうと思います。僕も親孝行頑張ります。
kirinmegane
2011/04/10 08:17
今回の震災では、当事者以外の人が当事者意識を持つことの難しさを改めて考えさせられています。やっぱりそれは難しいけれども、少し簡単にするのは想像力と情愛なのかなと思います。
今回の出来事で先生が体験されたこと、自分が体験したこと、できるだけリアルな感覚として残しておきたいです。今後のために。
巻き尾
2011/04/11 02:18
涙が止まらなくなりました。
お母様への愛情がとても伝わってきました。

私は終始東京にいるので、被災地の現状を
知るにはTVかWebしかありませんが、
実際の体験談ほど身にせまるものはありません。

貴重なお話を聞かせていただけてありがとう
ございます。

もし、自分だったら、犬山さんのように行動
できるのだろうか?色々な事を考えました。

普段から愛情をもって家族に接したいと思います。

コロッケちゃん、本当に愛おしいです。。
クララが走った
2011/04/12 09:20
ざうさんさん
いえいえ、共感してもらえたらうれしいですよー!
今は平和にコロッケたちとぬくぬくしております!

異人さん
そんな嬉しい事をいってもらえるとは!
私なんか結構汚いやつなんですが、嬉しいです!

きりんめがねさん
共に親孝行がんばりましょう!
犬と母をほめてもらえるのが一番嬉しいです!

まきおさん
そうですね!
私も遺体を見たわけでもないし、家もしっかりある。
非常に恵まれた環境なので、忘れないようにします!

クララさん
コロッケ、いとおしいです!
東京にいる人も、地震できっと怖い思いをしたはず。
体調など崩さすに互いに元気にやっていきましょう!
犬山
2011/04/22 00:56
うううう

久しぶりに涙が出ました。

残業中で久々にチェックしたら笑えるし
涙も出る。楽しくも感慨深い気持ちに…。

東京の人間として被災地のためを思って、
地震当日から買占めもせず。
募金くらいしか出来なかったけど、
更になにかできればとおもいました!涙

ありがとう!犬やまさま!

コロッケいとおしい。
N人間
2011/04/27 00:01
犬山さんのブログ面白いなーってずっと遡って読んでいたら、この震災の記事。
私も実家が宮城で、いま東京で1人暮らししているので、
震災後家族と連絡が取れなくてTwitterで必死になって情報を集めたことなど、いろいろ思い出しました。

お母さん無事で本当によかった!
コロッケちゃんも!

2012/04/04 04:35
ブログを最初から読んで来て、やっと今ココです。
今まで犬山さんの事を「面白い美人」だと思っていましたが、今回の日記を読んで、とても素敵な人だと分かりました。
ご家族も皆さん素敵な方ばかりですね。コロッケ君も。
これからも頑張ってください。
ずっと応援しています。
K藤
2012/05/25 14:18
東日本大震災 後編 犬山紙子のイラストエッセイ/BIGLOBEウェブリブログ
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